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記憶喪失

人間関係なんて信用出来る言葉ではない、と思う。

例えば今、すぐそこでスマホゲームのガチャ結果を見せ合いながら笑っているAとBは友人同士である。傍から見れば。心の中でAが「フレンド招待のボーナス目的で誘っただけなのにいつまでもノって来やがって」と思っていたとしてもそれはここで見ている俺には全く分からない。当の本人がどう思っているかの確認がお互い取れない以上、友人関係、ましてや恋人なんて作れる訳ないのである。

 

と、急に哲学めいたことを言ってみた原因は目の前で満面の笑みを広げる彼女。いつもの通学路をいつもの音楽を聴きながら家路を辿っていた矢先のことだった。人間関係について長々と語っていることから分かると思うが、俺は他人との接触が嫌いだ。いや、恰好付けすぎだろう。すみません、ただのコミュ障なんです。自分から話しかけに行くような人々の数は恐らく片手で足りる。必要ない(というより使わないから?)、人の顔と名前を覚える能力は皆無だ。多分脳も使わなすぎて演算領域を切り捨てたのだろう。そのツケが、来てしまった。

 

君の名前は?

 

最寄り駅は一緒。顔は覚えてる。二回くらい話した。俺の脳内に残っているこいつのデータはこの程度、この体たらくである。確か三駅くらい先にある私立高校のセーラー服。細いからだろうか、冬服の上に更にダッフルコートを羽織っているにも関わらず覗く首からはこちらが震えそうなレベルの寒々しさを覚える。いや、細いうえに小さい。低身長の俺が今見上げられているのだから高校生にしては相当低い。スカートも丈を詰めた感があるがそれでもなお長い。重だるいその服装と呼応するかのような黒髪のロング、ストレート。・・・見上げられている?

 

「ちょ、近い近い」とっさに後退る。顔見知りの距離じゃない。

「良いじゃんここまで信じてるんだよ?」開ければ詰められる距離。

 

そうだった。こいつの外観だの俺の価値観だのの話をしている場合ではない。話半分に聞いていた俺が馬鹿だった。問題はこのJK(仮?)からさっき飛び出た言葉だ。

「うん、裏切ったら君の血でいちごミルク作るからね?」

ツッコミは多々あるが、なぜこの台詞なのか。そして何よりも、

 

俺は一体、何をして、誰と絡んでいるんだ?

世間にはメンヘラ、と呼ばれる類の人間がいる。まあ大雑把に言ってしまえば自己肯定感の低さが故にそれを埋める他人に依存しやすい人を指す。人間それなりに推しやら何やらに依存して生きてるもんだしそれが悪いとは思わない。むしろ俺は自己肯定感が低い方だし健全な方々から見ればそっち側に分類されるかもしれない。にしても、だ。このいちごミルクさん(仮名)がそれを求めていたとして、俺にそのキャパがあると思っているのだろうか。いや、

 

「有り得ない」「何が?」声に出てしまった。危ない危ない。でもこれで良い、このまま引かれることを言い続ければこいつも分かってくれるだろう。取り敢えずは謙譲、俺が俺自身を下げてこいつに構うキャパがないことをアピールするしかない。

 

「いやぁ、君みたいなJKが俺みたいな良い所なんていっっっこもない冴えない陰キャに話しかけるなんてさ」

「見つけちゃったもんは仕方ないよ。というか私JKじゃなくてまだJCですけど?」

ナニヲミツケタノカナア。人の言葉が届く余地はまだあるのだろうか。敢えて嫌われる作戦が通用しそうにない。ここから本筋に戻すような力は俺の言葉にはない。しかも中学生だと?余計犯罪性が増した。捕まるのは俺だぞ。落ち着け、まずは個人情報から確定させるんだ。

 

「そっかごめん、何年生だっけ?あと名前、ちゃんとフルネームで漢字も教えて?」

「中学二年生、名前は〇〇××って書いて△△□□」

中二か・・・いや厨二か?同音異義語って大事だな、じゃなくて。

「因みにその制服って中高一貫だっ「違いますけど」即答された。

つまりこの制服を着ている俺がずっと高校生だと思っていた連中は全員もれなく中学生だった訳か。流石俺の雑魚記憶。それにしても、高校生と言われることが気に食わないのだろうか、やたらむくれている。怒らせるのはどうこれから展開がどう転んでも得策ではない。

「えっと、それで△△さん、悪いんだけど説明してくれないと困る、何でこんな距離近いの?」

「何で?何でって言った?しかも名字呼びって。ちゃんと□□って呼んでよ、前はそうだったじゃん忘れたの?大体さっきかr」

 

ややこしいことになった。

 

前は?どういうことだ。同級生ならともかく、小学校の頃に下の名前を普段から呼んでたような年下の人間はいないはずだ。名字を聞く限り誰か同級生の妹ということでもない。それに誰か思い出したところでこんなに距離が近い人間は俺の人生の中で殆どいなかったし例外の奴らは俺が信頼している人間だったから俺が忘れるわけはない。しかしこうして考えている間にも△△はずっと捲し立てている。こうやって人の台詞にモノローグを重ねてるからこういうことになるんだろうな。「ちょっと前まではあんな優しかったじゃん何でって言いたいのはこっちだよ、ねぇ!?やっぱり暫く会わなかったから?ていうか何でさっきから黙ってるの?私怒らせた?何とか言ってよ前の関係性に戻っt」回線切断。今俺に『これ』を収められる語彙はない。

 

情報をまとめよう。とにかく△△は俺のことを恋人か何かだと思っている。△△はそのホンモノの恋人と暫く会っていない。よって俺といるこの状況を再会だと思い込んでいる。そりゃテンションも上がるか。恋人だと思っているのならこの距離感も頷ける。って手!

「痛い痛い痛い何何何ちょ□□何してんの!」「だって話聞いてくれないんだもん」「話聞くどころか右手に酸素行かなくなってんだけど!?生きてる色じゃねぇぞこれ」「でも名前呼んでくれた…」

 

しまったやらかした。適度に構ってやらないとこの場から離れる前に俺の生命に危険が及ぶ。にしても恋人間違える真似なんてするか?それを言うならホンモノの恋人が今ここに現れたらどうするんだ?もし△△が恋人をここで「出待ち」していたのだとすれば。名前を呼ばれることにここまで固執している以上俺同様こいつも人との距離はカテゴリー別に極振りされているはずだ。赤の他人に自分が詰め寄った、違う、今自分が手首を掴んで血流を止めてまで名前を呼ばれようとした目の前の人間が赤の他人だったと知れたら。

間違いなく今日が俺の命日になるだろう。

「えっとあのさ□□、」「何?」久々の『恋人の』発言に期待の顔。

「積もる話もあるしまた明日話さない?明日はもうちょっと余裕あるしさ」「分かった」「え?良いの?」「明日ね?期待して良いんだよね?」「…うん」

「何でそんな暗い顔すんの?待ってるからね?明日のこの時間ね~」

 

やっと一段落ついた。裏切ってしまうのは申し訳ないが、ぜひともホンモノの恋人になるべく早く現れてほしいところだ。俺も命が大事だし。そこまで自己肯定感に満ちてはいないが、

 

ふと視線を感じて振り返る。これだけ離れても、△△はまだ笑顔で手を振っていた。何だ、ちゃんと嬉しいときは可愛いじゃないか。

 

「明日、一応様子見ておくか」

呟いて俺は元通りにイヤホンを耳に嵌めた。

 

 

 

初めまして、複不可計です。受験生ギリギリの高2三学期ですが参加させてもらいました。人は忘れる生き物とはよく言いますね。でも昔の人間関係は急に復活することもあるので御注意を。