都立武蔵文芸部 デジタル部誌サイト

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まっしろなキャンハス

 私の通う大学は古く、色がない、汚れがかかった白の建物が並ぶだけ。

 とてもじゃないが、充実している、そして、明るい、とは言えない。

 なんというか、真っ白なのに、薄暗いのだ。

 しかし、私の大学は、キャンパスがここしかないから、しょうがない。

 私は十二月の攻撃的な風を受けながら、そんな大学を出た。

 授業も終わり、あとは帰るだけなのだが、あまり帰る気はしなかった。

 最近の自分の人生に特に楽しいこともなく、ただ少し辛く、生きているだけな私には、大学という場所でも、実家でも、居心地よくいられない。

 かといって今は一人暮らしなのだが、一人でいても特に面白くもない、退屈な日常を過ごしているだけだった。

 とにかく、そんな辛い日常を少し紛らわすために、いつもとは違う道で駅まで歩くことにした。

 途中、おいしそうなカフェや暑苦しそうなジムなどがあった。

 カフェの中を覗くと、最近のトレンドとかに敏感そうなアホみたいな女や、ただ単に充実だけを求めているような忌まわしい男女二人組などを見つけて、気分が悪くなった。

 私にも友達は一応いるのだが、そういう人は大抵すっごく優しい人で、普通の人なら、近づくのも憚れるような女に見えるんだろう。

 私とて、近づくな、ってオーラは全然出しているつもりはないのだが、なぜか寄ってこないしコミュ障なので自分からも近づけない。

 そうすると、「人間」そのものに対して、妬みを覚えてしまうのだろう。

 いつしか赤の他人を中心に人間を不愉快と思うようになってしまった。

 そんな暗いことばかり考えていても、目はちゃんと前を見ているようで、一軒の古本屋があるのが目に留まった。

 その古書店は、狭いが、とても古そうなところで、いかにも古書が置いてあり、長年愛されているところなのだと感じた。

 そして、その雰囲気は、私が、約20年間ずっと行ってみたかったがなかなか見つけられず、想像の中で留まっていた、まさにその古本屋だった。

 そして、思わず入ってしまった。

 入ってみると、ずらりと昭和からの本があり、とても落ち着いた印象だった。

 割とアットホームな感じで、とても居心地がいい。

 本当に素敵な場所で、ずっといられるようなところだった。

 本をしばらく色々物色していると、奥に、同い年くらいの男性がいた。

 その人は、何をしているのかと思えば、何も描いていないキャンパスをただじっと見ているだけだった。

 常連さんだろうか。私服で丸椅子に座っていて、とてもこの店に慣れているようであった。

 こんな人間不信の私だが、その人には、なぜか惹かれるところがあった。

 なんというか、とても不思議なオーラを放っていて、私からみればすごく魅力的で、神聖に感じられた。

 彼は、とても沈着で、私の心を休ませ、同時に、落ち込んでいた私を救ってくれたような気がした。

 それから本屋にしばらくいたのだが、やはり彼のことが気になり、気が散らずにはいられず、結局その日は適当に好きな作家の文庫本を買って店を出た。

 ちなみにレジは、奥からおじさんが出てきて、手早にやってくれた。

 そのおじさんは、地元の人とも結構会話していて、人情味がある、愛されている古本屋なのだと感じた。

 それから数日、私は毎日その古書店に通った。

 普段はそんな道通ることなんてなかったのに、すっかりその道に慣れていた。

 相変わらずカフェの人を憎み、ジムには嫌悪を感じ、その道を歩いていくと、あの古書店がある。

 地図で見ても、どこにあるかよくわからないのだが、自分の足で動くとちゃんとそこに着けるのだ。

 そして、その古書店を覗き、適当に本を選んでいるふりをして、彼をじっと見て、それから一時間くらい、特に何するわけでもなく、建物の中に居座って、しばらくしたら百円の文庫本を買って帰るのだった。

 彼は相変わらず、キャンバスを見ているだけだった。

 たまに筆を執ったと思えば、その筆には絵の具も何もついておらず、ただ空虚を描いているだけだった。

 たまに、彼をじっと見ていると、彼と目が合い、ちょっぴり顔を赤らめることになる。

 でもそんな彼は、ささやかな笑顔を返してくれて、またキャンバスを見つめる。

 そんなとき、また彼に魅力を感じるのだ。

 私は彼に何を求めているのだろう。

 わからない。これが恋なのかもしれない、と思う頃にはもう何かを掴めなくなっているのかもしれない。

 

 ある日、私は彼に思い切って話しかけてみることにした。

 見知らぬ人に話しかけるなんて何十年ぶりだろうか。

 私はとても緊張しながらではあるが、声をかけた。

 

 「ど、どうして何も描かないんですかっ」

 

 しまった。声がうわずってしまった。

 

 「…君は……いつもよく僕のことを見ている人だね」

 「…はい」 

 

 も、もしかして、話しかけちゃいけない感じだった?

 

 「どうして描かないんだと思う?」

 「えっと…なにか、描きたくない理由みたいなのがあるんですかね」

 「…僕は、何も描いていないんじゃないんだよ。何も描いていないものを見ると、いろんな可能性が広がるでしょ。その可能性を想像するのが、好きなんだ」

 「そうなん…ですか」

 「僕は、頭の中で色んなことを描いているんだよ。」

 

 彼の心はとても清らかで、その言葉は、静かではあったが、雄弁のように感じた。

 

 「どうしてこのお店にずっといるのですか?」

 「君もわかると思うが、落ち着くからだよ。店長さんに許可してもらっている」

 

 すると、店長さんが出てきた。

 

 「壮太君は、良い心を持っているからね。思わず僕も彼の魅力に惹かれちゃってね。壮太君はすごい人になりそうだ。そうなったら、おじさん、ファン一号だ」

 

 っと、よくわからないことを言って、また裏に行った。

 彼は、本当に不思議だ。

 そして、幾多もの魅惑を持っている。

 とても素敵だ。

 それから私たちは、しばらく話していた。

 趣味のこと、年齢、通っている大学、思い出話…色々話した。

 まさかの、大学が一緒だったのは、驚いた。

 彼は一応籍を置いているが、あまり通っていないのだという。

 私は、こんなに自然にしゃべれる人が今までにいただろうかと思った。

 

 それからまた数日通った。

 私たちは、目が合うと、話すようになった。

 他愛もない話なのだが、彼のその魅惑を感じるだけで、私には十分になった。

 なんだかんだ時が経ち、二十四日になった。

 私は、毎年クリスマスなんて信じるものではなかった。

 しかし、私の心を救ってくれた彼に、何かお返しをしたかった。

 そのきっかけとして、クリスマスという波を借りて、贈り物をすることにした。

 私は、昔から裁縫は得意であった。

 それなので手作りで手袋を贈ることにした。

 彼は屋内にいるとはいえ、ずっと手が寒そうだった。

 雰囲気があったかいので、それに紛れて気づきづらいが、あの古書店は特に暖房等はちゃんとついておらず、寒いことには変わりなかった。

 手は、絵を描くには寒いとだめだ。

 彼の場合も、ちゃんと絵を描いている。

 彼の「可能性」という絵を。

 手袋の柄は、迷わなかった。

 蓮花。つまり蓮の花だ。

 蓮の花言葉は、「清らかな心」「休養」「神聖」「雄弁」「沈着」「救済」である。

 彼の雰囲気、彼と一緒にいたときに私に憑いた心情の変化や印象などから、蓮はそれを全て表すものだった。

 実家が花屋だったので、花言葉は割合覚えていたから、即決だった。

 蓮の花が描かれた手袋を持って、私はあの古書店に急いだ。

 中に入ると、彼がいた。

 と思った。

 確かに彼の気配は残っていた。

 だけど、彼の姿は、その古書店の中のどこを捜しても、いなかった。

 店長さんは、楽観的なもので、そういう日もある、と丸め込まれてしまった。

 私はあきらめたくなかった。

 そのまま逃げるように古書店を出てしまった。

 そのまま全力で走り、向かった先は…あの、忌み嫌う自分の大学のキャンパスだ。

 門を抜け、自分の学部の棟に入り、進む方向を見失ったところで、息をあげながら、倒れこんだ。

 私は、心細くなっていた。

 私の頭は、とにかく、混乱して、真っ白になっていた。

 体が落ち着き、顔をあげてみた。

 そこには、薄暗い廊下があるのみであった。

 しかし、廊下の先に、見慣れたものがあった。

 私は、鼓動を速めながら、ゆっくりと近づいてみた。

 そこには、彼…ではなく、彼の使っていたキャンバスがあった。

 姿形、傷の場所、紙の質、立て方、傾き、釘の打たれ方。

 彼の物でしかなかった。

 しかし、傍には彼がいない。

 私は、落胆した。

 とても失望した。

 紙袋に入った手袋を持って、しばらくそこに居座っていた。

 冬休みなので、人通りも少なかったが、私を見て避ける人もいたが、もう何も気にしなかった。

 彼を想う気持ちで、押し潰されそうになっていた。

 その日の夜、大学のキャンパスの構内で青年の遺体が見つかったそうだ。

 私は永遠に、彼に会うことはなく、手に抱えた蓮の柄の手袋を渡すことは出来なかった。

 私が彼に思っていた「好き」は、恋だった、とその時気づいた。

 ハスの手袋は、私の胸の中に、彼の形見として、いつまでも残るばかりであった。

 

 

あとがき

こんにちは。栄啓あいです。

最近良い古本屋を見つけたのですが、古本屋ってどこか懐かしい雰囲気を漂わせますね。とても居心地が良いです。

そして、タイトルに「キャンハス」とつけた理由はもうわかりましたね。三つを掛け合わせていたのです。

結果的にバッドエンドになってしまいましたが、十二月のこの時を彼女はしっかり受け止め、何かまた前進したのではないでしょうか。そうなってもらえると、嬉しい限りですね。

さて、私も高校二年生です。よって、実感はないですが、来年度は受験生です。

今回が最後の部誌になるかと思います。また暇なときに執筆したいですね。

それでは、二年間、ありがとうございました。