都立武蔵文芸部 デジタル部誌サイト

都立武蔵文芸部の部誌のデジタルVerです。個々の作品を掲載します。予告なく作品の変更・削除を行う可能性があります。ご了承ください。

モーメント

「ただいま」

 誰に聞かせる訳でもないが、玄関に入ってすぐそう呟いて靴を脱ぐ。家の中には誰もいないようだ。まだ四時半だということを考えれば不思議な事でもない。父は仕事で帰りが遅いだろうし、妹は学校。母は夕飯の買い物にでも行ったか。

 しかしこんなに早く帰って来るのは久しぶりだ。普段いない時間に家にいるとどことなく手持ち無沙汰で、漠然とした疎外感を感じてしまうのは何故だろう。休日の父はいつもこんな感覚なのだろうか。だとしたら少しかわいそうだ。いや、父からしてみたら休日に友達と出かけることもない僕の方がかわいそうに見えているのかもしれない。いつもは学校から直接バイトへ行くので帰るのは夜になる。それから夕飯を食べて、宿題をやって寝るだけで時間は慌ただしく過ぎてしまう。今日は店舗の改装をするとかでバイトは休みをもらった。とは言ってもいきなり手に入った自由時間を持て余している、というのが正直なところだが。こんな時、趣味の一つでも持っておけばよかったと思う。バイトの給料もだいぶん溜まっているし、何か始めてみるのもいいかもしれない。

 とりあえず、今日は何をしようか。帰り道のどこかで時間を潰そうかとも思ったのだが、特にしたいことも無かったのでそのまま帰ってきてしまった。しかし家に帰ったところですることもない。

 リビングのドアを開けると、テレビが点いていた。誰かが消し忘れて外出したらしい。こんなことをするのはきっと母だ。昔から一つの事に意識が向くと他が見えなくなる質で、危なっかしいことが度々ある。テレビの消し忘れも珍しいことではない。大方、夕食のメニューに集中していたのだろう。帰ってきたら注意しなければ。

 画面の向こうではタレントたちが馬鹿騒ぎをしていた。クイズ番組だろうか。まだ夕方だが、こんな時間にやっているバラエティーもあるのかと変なところに関心してしまった。その中には流行に疎い僕でも知っているような芸能人も何人かいる。今映っているのは最近人気の男性アイドルか。

 なんとなく、目で追ってしまった。

 小さい頃、テレビの中のタレントやアイドルに憧れた。その自信に満ちた姿は、両親に連れて行ってもらったヒーローショーで握手した仮面のヒーローと重なって見えた。彼は、幼い僕の目もまっすぐに見て力強い言葉を掛けてくれた。

 そして、笑顔を絶やさず、そこにいるだけで人々を楽しませるその姿に夢を抱いた。いつか僕も、あんなふうになりたいと願った。

 でも今は違う。

 ヒーローになれるのは選ばれた人間だけだという現実を知ってしまった。

 僕には手の届かない所で輝いている彼ら彼女らの姿を見ていても虚しいだけだ。なんて、この年頃特有のひねくれた思考なのかもしれないけど。

 テレビを消した。

 途端に、家の中が静まり返る。窓の外からは下校途中の学生たちのはしゃいだ声が聞こえてくるというのに。僕だけが世界から取り残されてしまったような気分だ。

 テレビを消したところで、僕の空虚さは変わらないみたいだ。

 ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がする。当然そのまま扉も開く。誰かが帰ってきた。

 少しの間が空いて、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。

「ただいまー。あれ? 漣いるの? バイトないの? ま、せっかく家にいるんだし、いいかー。最近全然話せてないしね。久しぶりに二人でゲームでもしようよ」

 妹の渚が、リビングに入って来るなり嬉しそうな声を上げた。

 渚も今日は部活が無いらしい。だからと言って友達と寄り道しりする訳でもないのはさすが僕の妹といったところだ。僕と違って誘う友達は沢山いるはずだが。

元気な妹が帰ってきて、静寂はどこかへと消えて行った。一人で虚無感に浸っていたのが馬鹿みたいだ。

 ゲームか。

 たまには少し位、人と遊んでもいいのかもしれない。

「三十分だけならな」

 鞄を放り出し、既に準備を始めている渚の耳には、届いていないかもしれないが。

 

 

初めまして。気がついたら文芸部員になっていました、霧山咲です。新入部員ではありますが、高校二年生なのでもうすぐ引退です。これが最初で最後の部誌になるかもしれません。人に見せるつもりで長い文章を書くことってなかなか無いので書きたかったことがちゃんと表現できているか、とても不安です。

いかがだったでしょうか。誰もが感じたことがあるであろう、何もないのに急に寂しくなる、あの感じが伝わっていたら嬉しいです。

拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました。