都立武蔵文芸部 デジタル部誌サイト

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公園の鍵

鍵を、忘れた。

失くしたわけではない。忘れただけなのだ。

誰が?私が。いつ?今、いや、忘れた時刻ならば今朝か。どこで?置き忘れたのは家の中、あの買い物袋だろう。昨夜アイスを冷凍庫に入れるのに気を取られたのが良くなかった。

ともかく、今現在、私は家に入ることができずに困っているのである。

 

スペアの鍵なんて持っているわけがない。ピッキング技術があればお縄についてしまう。頼みの綱の親は、あと2時間は仕事で帰ってこないだろう。一応携帯に連絡は入れたが、しばらく既読はつきそうにない。

万策尽きてしまったのだ。この暑い夏の午後に、我が家の扉の前で。

 

と、大層に言ってみたところで、大層な理由がつくわけでも解決に向かうわけでもないことは百も承知だ。が、なんせ家に入れないのだからやることがない。コンビニに行くほどのお金もなし、図書館は今日は休館日。何故こんな日に限って鍵を忘れてしまうのか、自分を恨みたい。

 

他に暇を潰せそうな場所はあるだろうか。近くの場所をあれこれ思い描く。なるべく座れるところ。2時間居座っていても特に問題のないところ。

…、あっ。

そうだ、公園に行こう。

 

家の前を離れて歩き出す。時計を見れば、鍵のないことに気づいてから早5分が過ぎていた。やはりこの調子で親の帰りを待つのは精神衛生上よろしくない。高校生たるもの、もっと有意義に時間を使うべきだろう。

 

坂道を登る。今向かっている公園は、小学校の頃よく遊びに通っていた。遊具といったら小さな滑り台とブランコ、鉄棒、砂場くらいしかないのだが、それでも放課後集まるのはいつもこの公園だった。砂場の周りを落ちないように歩いたり、砂場に深いトンネルを掘ったり、随分色んなことをしていた思い出がある。この坂道も、自転車で誰が一番速く駆け下りられるか競走したものだった。

 

そういえば、あの公園で鍵を失くしたことがある。自分たちのものではない、ベンチの隅に落ちていた知らない鍵だ。うろ覚えだが、おそらく自転車のプレスキーで、黒い紐がつけられていた。置き忘れたのか、取れてしまったのかは分からなかった。

 

あの頃、私達の間では宝探しがかなりの勢いで流行っていた。砂場のスコップ、拾った大きめの石、シャボン玉液の蓋まで、あらゆる物を隠しては探し、探しては隠しを繰り返した。しかし、時に隠したものがそのまま行方不明になってしまうことが何度かあった。鬼ですら何処に隠したのかあやふやになり、全員で必死に探し始める、ということが一度や二度ではなかったと思う。

 

あの鍵も、そんな中の一つだった。鬼は鉄棒の下に埋めたと言い張るのだが、辺り一帯を掘り返しても全く見つからない。公園に鉄棒は一ヶ所しかなく、大きな物ではないのにも関わらずだ。30分程かけたものの、結局最後まで見つからなかった。

 

当時は、皆で土に還ったのだろうということに落ち着いたのだが、今考えてみると訳の分からない結論だ。小学生のことだからきっと探し漏らしがあったのだろうと思う。もしくは鬼が思い違いをしていたのだろう。しかし私の中では、鍵の持ち主への罪悪感も相まって、今も不思議な出来事として印象に残る思い出である。

 

公園に着いた。家を出てから約30分。昔は自転車で来ていたからか、友達と話しながらだったからか、あまり距離を感じなかった。記憶と違わぬ景色がそこにある。ただ、遊具は所々カラフルな塗料が剥げてくすんでいる。それに、昔に比べて少し小さくなったように感じた。

 

帰る時間があるにしても、1時間ほど公園にいる必要がある。暑い中歩き通して疲れたので、他の場所には行きたくない。見渡すと、風でかすかに揺れるブランコが目に入った。久しぶりに乗ってみようか。

 

赤い台座に腰を下ろすと、キィキィと甲高い音がする。鎖をしっかり握り、地面を蹴る。何度か蹴って勢いをつけたら、足を上げる。そのまま揺れに合わせて、曲げる、伸ばす、曲げる、伸ばす。座り漕ぎでもそれなりの高さまでは上がる。もし靴をぽんと脱ぎ捨てれば、あの木に引っ掛けられそうだ。

 

小学生の頃は立ち漕ぎの方が好きだったが、今は座り漕ぎの方が良い。立ち漕ぎ程のスピード感は無いものの、ゆっくりとしたリズムも悪くはない。それに、座っていれば足もあまり疲れない。曲げて、伸ばす。その繰り返しで、だんだん高く、速くなっていく。

 

次第に漕ぐことに集中し、他のことをあまり考えられなくなる。あれ、意外と楽しいかもしれない。こんな風に遊ぶのは何年ぶりだろう。中学に上がってからというもの、公園に来ることはめっきり減ってしまっていた。友達と遊ぶにしてもカラオケ、ボーリング、思い切り体を動かすこと自体少なかった。

 

足を曲げて、伸ばす。もっと高く、もっと速く。座っているのに、結構な速度になってきた。風を切って、風になって。数年前と同じ風が、今ここにある。

高く、速く。もっと、もっと。

 

ふと、チャイムが鳴った。夕焼け小焼けのメロディは、18時になったことを教えてくれる。30分前のチャイムは聞き逃していた。いつのまにか、1時間経っていたのか。

 

ブランコから降りると、手足が痺れた。明日は筋肉痛かもしれない。早く帰って眠ろう。夕ご飯も待ち遠しい。今から家に向かえば、着く頃には親も帰っているだろう。

 

鞄を背負って公園を出て、2、3歩歩いたところで振り返った。数分前の、解放感を思い出す。今も軽く風に揺れているブランコは、あの頃を思い出す鍵だったのかもしれない、なんて思った。

 

この鍵なら、きっと忘れることも失くすこともないだろう。小さく笑って、もう振り返らずに歩き出した。

 

 

 再び初めまして、卯月望です。記念すべき初作品ということになるのでしょうか。反省点が様々あるので、精進していきたいものです。

 この話は半分実体験のようなものになります。二学期に入ってからはまだ鍵を忘れたことはありませんが油断禁物、皆さんもお気をつけください。ただ、久々にブランコに乗ってみるのは案外楽しいですよ。