都立武蔵文芸部 デジタル部誌サイト

都立武蔵文芸部の部誌のデジタルVerです。個々の作品を掲載します。予告なく作品の変更・削除を行う可能性があります。ご了承ください。

記憶喪失

人間関係なんて信用出来る言葉ではない、と思う。

例えば今、すぐそこでスマホゲームのガチャ結果を見せ合いながら笑っているAとBは友人同士である。傍から見れば。心の中でAが「フレンド招待のボーナス目的で誘っただけなのにいつまでもノって来やがって」と思っていたとしてもそれはここで見ている俺には全く分からない。当の本人がどう思っているかの確認がお互い取れない以上、友人関係、ましてや恋人なんて作れる訳ないのである。

 

と、急に哲学めいたことを言ってみた原因は目の前で満面の笑みを広げる彼女。いつもの通学路をいつもの音楽を聴きながら家路を辿っていた矢先のことだった。人間関係について長々と語っていることから分かると思うが、俺は他人との接触が嫌いだ。いや、恰好付けすぎだろう。すみません、ただのコミュ障なんです。自分から話しかけに行くような人々の数は恐らく片手で足りる。必要ない(というより使わないから?)、人の顔と名前を覚える能力は皆無だ。多分脳も使わなすぎて演算領域を切り捨てたのだろう。そのツケが、来てしまった。

 

君の名前は?

 

最寄り駅は一緒。顔は覚えてる。二回くらい話した。俺の脳内に残っているこいつのデータはこの程度、この体たらくである。確か三駅くらい先にある私立高校のセーラー服。細いからだろうか、冬服の上に更にダッフルコートを羽織っているにも関わらず覗く首からはこちらが震えそうなレベルの寒々しさを覚える。いや、細いうえに小さい。低身長の俺が今見上げられているのだから高校生にしては相当低い。スカートも丈を詰めた感があるがそれでもなお長い。重だるいその服装と呼応するかのような黒髪のロング、ストレート。・・・見上げられている?

 

「ちょ、近い近い」とっさに後退る。顔見知りの距離じゃない。

「良いじゃんここまで信じてるんだよ?」開ければ詰められる距離。

 

そうだった。こいつの外観だの俺の価値観だのの話をしている場合ではない。話半分に聞いていた俺が馬鹿だった。問題はこのJK(仮?)からさっき飛び出た言葉だ。

「うん、裏切ったら君の血でいちごミルク作るからね?」

ツッコミは多々あるが、なぜこの台詞なのか。そして何よりも、

 

俺は一体、何をして、誰と絡んでいるんだ?

世間にはメンヘラ、と呼ばれる類の人間がいる。まあ大雑把に言ってしまえば自己肯定感の低さが故にそれを埋める他人に依存しやすい人を指す。人間それなりに推しやら何やらに依存して生きてるもんだしそれが悪いとは思わない。むしろ俺は自己肯定感が低い方だし健全な方々から見ればそっち側に分類されるかもしれない。にしても、だ。このいちごミルクさん(仮名)がそれを求めていたとして、俺にそのキャパがあると思っているのだろうか。いや、

 

「有り得ない」「何が?」声に出てしまった。危ない危ない。でもこれで良い、このまま引かれることを言い続ければこいつも分かってくれるだろう。取り敢えずは謙譲、俺が俺自身を下げてこいつに構うキャパがないことをアピールするしかない。

 

「いやぁ、君みたいなJKが俺みたいな良い所なんていっっっこもない冴えない陰キャに話しかけるなんてさ」

「見つけちゃったもんは仕方ないよ。というか私JKじゃなくてまだJCですけど?」

ナニヲミツケタノカナア。人の言葉が届く余地はまだあるのだろうか。敢えて嫌われる作戦が通用しそうにない。ここから本筋に戻すような力は俺の言葉にはない。しかも中学生だと?余計犯罪性が増した。捕まるのは俺だぞ。落ち着け、まずは個人情報から確定させるんだ。

 

「そっかごめん、何年生だっけ?あと名前、ちゃんとフルネームで漢字も教えて?」

「中学二年生、名前は〇〇××って書いて△△□□」

中二か・・・いや厨二か?同音異義語って大事だな、じゃなくて。

「因みにその制服って中高一貫だっ「違いますけど」即答された。

つまりこの制服を着ている俺がずっと高校生だと思っていた連中は全員もれなく中学生だった訳か。流石俺の雑魚記憶。それにしても、高校生と言われることが気に食わないのだろうか、やたらむくれている。怒らせるのはどうこれから展開がどう転んでも得策ではない。

「えっと、それで△△さん、悪いんだけど説明してくれないと困る、何でこんな距離近いの?」

「何で?何でって言った?しかも名字呼びって。ちゃんと□□って呼んでよ、前はそうだったじゃん忘れたの?大体さっきかr」

 

ややこしいことになった。

 

前は?どういうことだ。同級生ならともかく、小学校の頃に下の名前を普段から呼んでたような年下の人間はいないはずだ。名字を聞く限り誰か同級生の妹ということでもない。それに誰か思い出したところでこんなに距離が近い人間は俺の人生の中で殆どいなかったし例外の奴らは俺が信頼している人間だったから俺が忘れるわけはない。しかしこうして考えている間にも△△はずっと捲し立てている。こうやって人の台詞にモノローグを重ねてるからこういうことになるんだろうな。「ちょっと前まではあんな優しかったじゃん何でって言いたいのはこっちだよ、ねぇ!?やっぱり暫く会わなかったから?ていうか何でさっきから黙ってるの?私怒らせた?何とか言ってよ前の関係性に戻っt」回線切断。今俺に『これ』を収められる語彙はない。

 

情報をまとめよう。とにかく△△は俺のことを恋人か何かだと思っている。△△はそのホンモノの恋人と暫く会っていない。よって俺といるこの状況を再会だと思い込んでいる。そりゃテンションも上がるか。恋人だと思っているのならこの距離感も頷ける。って手!

「痛い痛い痛い何何何ちょ□□何してんの!」「だって話聞いてくれないんだもん」「話聞くどころか右手に酸素行かなくなってんだけど!?生きてる色じゃねぇぞこれ」「でも名前呼んでくれた…」

 

しまったやらかした。適度に構ってやらないとこの場から離れる前に俺の生命に危険が及ぶ。にしても恋人間違える真似なんてするか?それを言うならホンモノの恋人が今ここに現れたらどうするんだ?もし△△が恋人をここで「出待ち」していたのだとすれば。名前を呼ばれることにここまで固執している以上俺同様こいつも人との距離はカテゴリー別に極振りされているはずだ。赤の他人に自分が詰め寄った、違う、今自分が手首を掴んで血流を止めてまで名前を呼ばれようとした目の前の人間が赤の他人だったと知れたら。

間違いなく今日が俺の命日になるだろう。

「えっとあのさ□□、」「何?」久々の『恋人の』発言に期待の顔。

「積もる話もあるしまた明日話さない?明日はもうちょっと余裕あるしさ」「分かった」「え?良いの?」「明日ね?期待して良いんだよね?」「…うん」

「何でそんな暗い顔すんの?待ってるからね?明日のこの時間ね~」

 

やっと一段落ついた。裏切ってしまうのは申し訳ないが、ぜひともホンモノの恋人になるべく早く現れてほしいところだ。俺も命が大事だし。そこまで自己肯定感に満ちてはいないが、

 

ふと視線を感じて振り返る。これだけ離れても、△△はまだ笑顔で手を振っていた。何だ、ちゃんと嬉しいときは可愛いじゃないか。

 

「明日、一応様子見ておくか」

呟いて俺は元通りにイヤホンを耳に嵌めた。

 

 

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さくら咲

 「そして、三つ目の教育目標についてですが……」

 体育座りで入学オリエンョンを聞き始めてから、数十分が経過した。欠伸を噛み殺しながら、授業の残り時間に思いを馳せる。話を聞いておかなければならないと頭では理解していても、集中しようとすればするほど、まぶたが重く感じられる。ほら、もう先生の話が全く頭に入ってこない。それを自覚した瞬間、僕の意識は遠のいていった。

 

 

 「佐倉さ、お前いくら何でも寝すぎじゃね?入学式でも爆睡してたろ」

「僕からすれば、なんで皆起きてられるのか分からないんだけど」

 この学校に入学して早数日、晴れて高校生となった僕は特に今までと変わらずに過ごしている。いきなりテストや山のような課題やらにもみくちゃにされて忙しい毎日を送りはしているが、新しい同級生にも慣れてきたし、順調なスタートが切れたのではなかろうか。特に今話している後藤なんかは、出席番号が近いこともあり、友人歴六日とは思えない距離感で話せている。僕は大抵何処でも寝られる、というか寝てしまうので、起こしてくれる友人はありがたいのだ。勿論一緒に居るのだって楽しい。また他愛もない話をしようと口を開いて、

 

「……さくら?」

 

 声が、聞こえた気がした。自分の名前を呼ぶ声が。

 口を閉じるタイミングを失ったまま、辺りを見渡す僕の姿はかなり不審に見えたようで、後藤が訝しげな顔をしている。彼には特に何も聞こえなかったというので、空耳だろうか。まだ寝ぼけているのかもしれない、と頭を軽く振って歩き出した。

 

 帰りのホームルームがようやく終わっていざ放課後、後藤はさっさとバスケ部の仮入部へと走り去ってしまった。興味をひかれる部活は自分にもいくつかあるが、あいにく今日はどこも仮入をやっていないようだ。仕方ないので一人昇降口で靴を履き替えていると、

 

「さくら」

 

 まただ。あれ以降、どうにも誰かが自分を呼んでいる気がしてならない。聞き覚えは無いが、やや高くて軽やかなこの声はおそらく女子のものだ。急ぎの予定も無いし、誰が呼んでいるのか探してみよう。

 と決めたはいいのだが、如何せん人影が見当たらない。いや、人自体は何人か居るものの、皆僕を呼んでいる気配はない。校舎の周りをうろうろしてみるも、やはりそれらしい生徒は見当たらず。用があるなら分かりやすく出てきてくれれば良いものを。変な人だ。諦めようかとも思ったが、悔しいのでもう少し探したい。多分あっちの方向だと思うのに……目を凝らしても成果はなし。何故こんなに見つからないんだ?だんだんと苛ついてきた、その時。

 

 ひらり。一条の風が走り、桜の花びらが顔のすぐ横を通り過ぎて行った。こんな時期にまだ桜が咲いていたのかと、つい目で追いかけ、ぐるりと首を巡らせた。

 

 「……あっ」

 校舎の壁と外周のフェンスの隙間に、人一人がぎりぎり通れそうな隙間があった。もしや、この先に?少し緊張しながら、そろそろと足を踏み入れた。

 

 

 

 生い茂る草を掻き分けて、数歩。狭い隙間に体を押し込んだ先で、急に視界が開けて却って面食らった。

 そこにあったのは、面積にして六畳一間ほどの空間だった。フェンスや壁で四方を囲まれているものの、そこまで狭くは感じられない。こんな場所があったなんて。最も入学したばかりで、まだ学校の構造に詳しくはない。でもここは、隠しスポットみたいでなんだか好きになれそうだ。

 壁に近寄ってみる。微かに人の声が聞こえてくる。そうか、ここは剣道場の裏なんだ。頭の中でうろ覚えの学校のマップと照らし合わせて、なんとなく納得した気分になる。

かさり、と急に草むらから音がした。誰かの気配を感じて、後ろを振り返る。

「……!」

 

 はっ、として、思わず息を呑む。大きく枝を広げた、一本の桜の木の根元。風が吹くたびに、満開の花々がこぼれ落ちるように舞う。暖かな陽の光を浴びてはきらめく花びらが降り積もり、絨毯のように広がった、その上。そこに、一人彼女は佇んでいた。

 

 この学校の制服に身を包み、肩より少し下まで伸ばした黒髪が柔らかくなびく。背丈は自分よりも少し低いくらいだが、どこか大人びた雰囲気をまとっている。前に揃えられた両手は、何か小さなものを抱えているようだ。

 どうしよう、この人が誰なのか皆目見当がつかない。悪い人ではなさそうだけど。おずおずと目の前の彼女の顔に視線を向ける。目が、合ってしまった。失敗した。慌てて俯きかけたが、それより先に彼女の口が動いた。

「あなたは、誰……?」

 

 

 声から判断するに、呼んでいたのはこの人で間違いないらしい。それ自分の台詞なんだけどな、とか、さっきまで連呼してたよな、とか、腑に落ちないものの仕方なく名乗る。佐倉義継、新高一です。そしてやはり、彼女は僕の名前に心当たりがないようだ。

「そっか、ごめんごめん。まさか誰かに聞かれちゃうとは思わなくって」

 まだ若干不思議そうな顔をしているが、一応納得してもらえたようだ。良かった、いや、別に良くもないな。なんだかモヤモヤした気持ちを抑えながら、こちらも名前を尋ねる。一瞬目を丸くした後で、笑って彼女は答えてくれた。

「私?私は、さくら」

 名前被ってるじゃん。名字でも名前でも、この学年には僕以外に『さくら』はいないはずだ。となると、さくら先輩とでも呼ぶべきだろうか。下の名前だと気恥ずかしいが、そうでなくても少し複雑な気分だ。

 

 「そうだ、知ってる?花が咲くの咲、という字で、わらうって読むの。呼んでた本に書いてあって、いい言葉だなって感動しちゃった」

 彼女……さくら先輩は、こちらに向けてしおりの挟まれた文庫本のページを開いた。さっき手に持っていたのはこれだったらしい。咲う、と書かれたところに、わらう、とのルビ。日本語ってすごい。

 ……自分の頭の半分くらいは、今まで知らなかったその事実に感嘆している。しかし、もう半分が別のことに気を取られてうまく働かない。どうして僕にこんな話をしているのか?どうして先輩はここにいて、そして本当は誰を呼んでいたのか?他に知りたいことが多すぎて、雑学のことまで頭が回らない。

 急に、先輩がまた僕に笑いかけた。見透かされたようで、どきりとする。

「桜の花は好き?」

 唐突な質問。戸惑いながらも、少し考えて好きだと答える。見ると春が来たことを実感するし、ひらひらと舞う花びらは綺麗だ。それに、字こそ違えど自分の名前でもあるし。

「そうね。ふふ、ありがとう」

 感謝されるほどのことは言えなかったのに、先輩は嬉しそうだった。歌うように返事をして、少し間を置いた後また口を開く。その顔に、少しだけ影が差したように見えた。

 

「私ね。待ってる人がいるの。その人に伝えたいこと、沢山あって。謝らなきゃいけないことや、教えてあげたいこと、他にもいろいろ」

 そう語る先輩の顔は辛そうで、その笑顔はどこか寂しげで。

「でも。その人がいつ来てくれるかは分からない。もしかしたら、もう来てくれないかもしれない」

「だけどね」

 言葉を切った先輩は、僕を正面から見据える。うるんだ瞳の奥に、確かな光が宿っていた。

「それでも、どうしても、ここで待ち続けていたいの。だって……」

 

 私は、さくらが大好きだから。

 

 ごうっと強い風が吹いて、巻き上げられた桜の花びらに先輩の姿が隠れる。その向こう側から、澄み渡った声が響いた。

「また遊びにおいでよ。君と話すのは楽しいし、いつでも歓迎するから」

 

 

 目を擦って、周りを見渡す。いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。身体についた草切れを払いながら起き上がり、今まで自分がいた場所を眺める。傾きかけた陽に照らされ、草花がさわさわと揺れている。しかし、それだけだ。

 

 そこには、桜の木なんてなかった。

 

 夢、だったのだろうか。狐につままれたような気分とはこのことだとしみじみ実感する。さくら先輩も、満開の桜の木も、今や影も形もない。

 でも、きっとただの夢でもなかったのだ。傍らに放り投げていた鞄を見やる。そこに乗せられていた、五枚の花びらを持つ花。春を感じさせる、多くの日本人が愛する花。

 ふわりと微笑む先輩の姿が脳裏をよぎった。相変わらず、先輩について僕はほとんど何も知らないままだ。それでも、相手を信じてずっと待ち続ける先輩は、何を思っていたのだろう。それを想像するくらいなら、僕にも許されるだろうか。

 

 

 

  「それでね、その時思いついたの。ほら、いろんなことを知って、そして、いつかそれを他の人にもお裾分けしてあげられたら素敵じゃない?だからかな、先生になりたい、ってそう思ったの」

 あれから数週間が過ぎた。今日も僕はこの六畳一間の隠しスポットへ遊びに来ている。といっても、毎日のように足を運んでいるわけではない。後藤は結局バスケ部に入部したし、自分だって美術部に籍を置いた。高校生、正直思っていた以上に忙しい。だからこうして、午前授業の日の放課後なんかに立ち寄っているのだ。ここに来たのはまだ数回、片手で数えられるほど。たまたま時間が取れない限りは、あまり来ることはない。

 ここに来れば相変わらず、いつだってさくら先輩は居るし、満開の桜が咲いている。流石の僕でも何かおかしいとは思うのだが、不思議と怖くはない。でも友人に話したら病院を勧められてしまいそうなので、今のところ誰にも話したことはない。

 そして、先輩は僕が来るたびに何かしら話をしてくれる。読書が好きなようで、本から数多の知識を得ているようだ。

 

 「ね、佐倉くん」

 また何かを思いついたようで、先輩はふと僕に向き直った。自然と僕も居住まいを正す。

「虹の麓に宝物が埋まってるって話、聞いたことある?」

 ある。正直な話、子供の頃信じていたまである。虹が出るたびにはしゃいでは、消えるまでに辿り着こうと必死になっていた記憶がよみがえった。大抵消える前に自分がバテてしまったが。

「……」

 あれきり先輩は何も喋らない。心なしか普段より口数が少ないようだ。長く会っている訳ではないし、自信はないけれど、そんな気がする。

「先輩?」

「ああ、ごめんね」

 気を取り直したように笑った先輩は、いつかのように切ない表情をしていた。

 

「虹が無かったらさ。どうやって宝物を見つければ良いんだろうね」

 

 あの話から考えれば、虹が無いならおそらく宝物も無い。でも、先輩の言っているのはきっとそういうことではないんだろう。心躍る宝物、その場所を指し示す道標が無かったら。

 

 たとえ存在していたとしても、宝物には辿り着けないかもしれない。

 

 

 また、一人で目を覚ます。帰されてしまった、そう感じた。耳を澄ませば微かに聞こえてくる剣道部の掛け声。日差しは強くなり始めたが、そろそろ梅雨が来るだろう。今日はもう家に帰ろう。

 

 

 

 六月がやってきた。初の定期試験を乗り越えた僕らは、早くも二度目の試験に向けて課題に追われている。この学校、課題多すぎやしないか。物理のレポート五枚以上とか無理なんだけど。

「明日までにあと四枚……嘘だろ?」

「しかもそれ表紙入れて数えてるでしょ。五枚だから」

 後藤と休み時間に駄弁っている。いつもは部活の昼練があるとかで早弁しているのだが、今日は午前授業なので暇そうにしているのだ。無論休み時間に課題をやる気なんて起きないため、こうしてだらけている。

 

 「そういやさ、今日から教育実習生来るんだろ?」

 そうだった。四時間目の英語表現は、実習生が授業をするらしい。この学校の先輩ということだが、縁のある人は特に思いつかなかったのでいつもと違う先生が来るのか、くらいにしか気に留めていなかった。

 チャイムが鳴り、後藤と別れて席につく。少し遅れて、教室に先生が入ってきた。その顔を見て、思わず目を見張った。

 

 先生は黒板に綺麗な字で名前を書き、くるりとこちらに向き直った。肩より大分下まで伸ばした黒髪が揺らいだ。

「白河咲良です。よろしくお願いします」

 やや大人びているし、当たり前だけれど制服も着ていない。それにも関わらず、先生の姿は、口調は、声は。

 さくら先輩に、そっくりだった。

 

 

 この学校の卒業生だとか、趣味は読書であるとか、簡単な自己紹介の後にいつもより新鮮な授業。五十分で授業が終わり、担任と入れ替わって帰りのホームルーム。それが終了した直後、僕はもう職員室へと駆け出していた。先生に聞きたいことが山のようにある。階段を駆け降り、職員室の扉をノックする。白河先生はいらっしゃいますか。今は居ないようだ。どちらへ行かれたか分かりますか。さっき下へ降りていくのを見かけたとか。感謝を述べて、また階段を一段飛ばしに降りていく。もしかすると、もしかするかもしれない。

 

 

 果たしてあの場所へ辿り着くと、壁に寄り掛かったさくら先輩、ではなく白河先生がこちらに気づいて目を丸くしていた。分かっていても見間違うほど、やっぱり似ている。何から聞こうか迷った挙句、心を決めて口を開いて、

「……!」

 ざあっと吹いた風に、思わず後ろを振り返る。

 制服姿の、さくら先輩が立っていた。

 

 姉妹のようにそっくりな顔が二つ。感動の再会?にしては様子が変だ。先輩は、驚いた様子で先生を見つめている。一方先生は、先輩の方を一瞥もしないで僕の方を見ている。まるで、先輩に気づいていないかのように。

 

 気づいていない。自分で考えたことに愕然とする。まさか。いや、でも。先生は依然、不思議そうな顔をしている。先に口を開いたのは、先輩だった。

「やっぱり、分からないか」

 

 その言葉の意味を考える間もなく、突如視界一面を桜色に覆い尽くされる。花吹雪が晴れた後に居たのは、先輩ただ一人だけだった。

 口を開こうとする僕を制して、先輩は静かに語り始める。それは、四年前、白河先生がまだこの高校に在籍していた頃の話だった。

 

 

 それはまだ、ここに桜の木があった時のこと。この場所に気がついた白河先生はここを気に入り、見つけてからは読書スペースとして時折来るようになった。独り言の多い先生は、よく桜の木に話しかけるように本の内容を口にしていたという。そんな風に三年間を過ごした先生は、最後、卒業式の日にもここを訪れた。もうここに来ることは無いかもしれない。しかし、先生はそれを過去の思い出にしてしまわないように、あることをした。

「片手で持てるくらいの、小さな缶を持ってきてね。ちょっとしたタイムカプセルだって笑って、桜の根元に埋めたの」

 いつか夢が叶って、先生としてこの学校にまた来られた時に、この桜の木の下で開けられたら。それって素敵じゃない?そう思ったのだと。

 

 靴が汚れるのも構わずに、持ってきたスコップで穴を掘った先生は、大事そうに日付が書かれた缶をそこへ置いて優しく土をかけた。そして疎らに咲き始めていた桜の花に見送られて、大学へと旅立っていった。

「でもその二年後、今から数えて二年前、大きな台風があったでしょう?あれで桜は倒れてしまって、今はもう、ここには無いの」

「きっと咲良はもう、何処に埋めたのか忘れてしまっている。ここは案外広いの。目印なしに一面掘り返すのは大変すぎる」

「私が、咲良に教えてあげなくちゃいけないのに……」

「できないの。私はもう居ないから。咲良には、私が分からないから」

 本当に辛そうな顔で、先輩は語る。会いたかった人がそこに居るのに、何も伝えることができないもどかしさ。悔しさ。その想いが、痛いほど伝わってくる。

 でも、それなら。正面からさくら先輩を見据えて、僕は口を開いた。

 

 

 「……君。ねえ、大丈夫?」

 気がつくと先輩、じゃなくて白河先生が気遣わしげに僕を覗き込んでいた。風の音に振り返った後、数秒間ぼんやりしていたという。

 具合でも悪いのかと心配する先生に、大丈夫だと僕は答え、小さくつぶやいた。

「呼ばれていたのは、先生だったんですね」

 不思議そうに首を傾げた先生を前に、僕は問いかけた。在学中、ここに来たことがあったんですか?先生は間を置かずして、はっきりと頷いた。

「ええ。懐かしくって、つい来てしまったの。本当はここでやりたいことがあったんだけど、流石にそれは出来なさそうで少し残念」

 照れ隠しのようにはにかんだ先生に、僕は意を決して話しかける。

「もしかして、タイムカプセルですか?」

「その通り。すごいね、どうして分かったの?」

 その言葉に、僕はこの空間の中央へ歩み出て、足元を指さした。そのまま伝えるわけにはいかないけれど、こうすれば。

「以前ここに来た時に、缶の頭が出ているのを見つけたんです。日付があるのが見えて、もしかして誰かの大切なものかと、ここに埋め直しました」

 少し不自然かもしれない。わざとらしいかもしれない。でもこれで、さくら先輩の想いが伝えられる。

 

 脳裏に先輩の顔がよみがえる。伝言役を申し出た僕に、先輩はタイムカプセルの場所と、ある言葉を託した。先輩、取り敢えず役目の半分は果たしましたよ。

 先生は近くに落ちていた手ごろな石を拾って、穴を掘り始めた。手伝おうかとの申し出をやんわり断られてしまったので僕は手持ち無沙汰に空を眺める。数日前に梅雨入りしたはずだが、今日は快晴だ。真っ青な空に飛行機雲が一筋走っている。

 かつん。石が固いものに当たった。先生はさらに周りを掘り進める。やがて、塗装が禿げて少し凹んだ缶を引っ張り出した。

 固唾を呑む僕。深呼吸する先生。四年の時を経て、タイムカプセルが開かれる。

 

 覗き込んだその中にあったのは、一冊の文庫本だった。缶に入っていたおかげか、あまり古びた様子はない。目を細めて本を眺めていた先生の手が、あるページで止まった。

 挟み込まれていた、一枚の桜の花びら。押し花のように固くなったそれを、先生は慎重につまんで持ち上げた。空にかざせば光に透けて、淡く輝く。

 

 ふと、先生が僕の方に顔を向けた。少しうるんだその瞳には、優しい光が宿っていた。

「こんなこと信じてもらえないかもしれないけどね。昔ここで本を読んでいた時、時々誰かが居る気がしたの。独り言も聞いてもらえてるみたいで、不思議と怖くなくって」

 それって。視線を上げた僕を制して、先生は話し続ける。花びらの挟まっていたページを、僕の方へと向けた。

「知ってる?桜の花には色々な花言葉があるの。日本だと精神美、純潔とか。イギリスでは、よい教育。だから何となく、ここに居ると夢を応援してもらえてるようで元気付けられてたの。そして、フランスではね。私を忘れないで、って」

 

 桜の花を傷つけないように大切に両手で包んで、先生は笑っている。

「ここに来た理由は、タイムカプセルを開きに、というのもあるけど、実はもう一つあるの。かつて三年間、私の話を聞いてくれた感謝を伝えたくって。私、忘れずにちゃんと夢を叶えてここに戻ってきたよ、そう教えたくって」

「もうここに桜の木は無いって聞いてたから、実際見ると少し寂しくなっちゃったけど……でも、やっぱり伝えに来たかった。だって、」

 

 私は、桜が大好きだから。

 

 風もないのに、草木が揺れた。誰かの気配を感じて、先生と二人、後ろを振り返る。隣で先生が、はっと息を呑んだのが分かった。

 

 制服姿の黒髪の少女。さくら先輩。姿を借りてしまうほど、ある一人を想い続け、決して忘れることなく待ち続けていた一本の木。伝えたいことが沢山あるはずなのに、その全てを込めて、先輩は言った。

 

「私も。私も、咲良が大好き」

 

 季節外れの花吹雪が舞う。伝言役、必要なかったな、なんて思う僕の横で、二人はそれ以上の言葉もなく見つめ合う。晴れ渡る空の下で、やがてどちらともなく、

 

 

 ふわりと咲った。

 

 

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部長挨拶

東京都立武蔵高等学校文芸部部長の、高二の栄啓あいです。

今回は、部活禁止期間等もあり、発行が遅くなってしまいました。

それでも発行出来たこと、嬉しく思います。

そして、今回は、嬉しいことに、部誌に参加する人数が増えました。

なんと、新入部員と、部活外からも書きたいと声をかけていただいて、部誌に彩りがつきました。ありがとうございました。

ですので、今回は四人の作品での発行です。

さて、今年は新たなことをしようと試みていました。

リレー小説、文学賞への応募、読書会、ボードゲーム等…。

結果的に、革新は出来たと言えば微妙ですが、歴史が薄い文芸部にも新しい風を吹かせられたとは思います。

普段活動としては、執筆したり、本について語り合ったり、少し頭を使ったゲームをしたりしています。

部活があるときは、相変わらず2B教室で平和に活動しているので、興味がある方、快く歓迎いたします。

これからも当部活をよろしくお願いします。

二〇二〇年度、一年間ありがとうございました。

それでは、今回の部誌もどうぞお楽しみください。

公園の鍵

鍵を、忘れた。

失くしたわけではない。忘れただけなのだ。

誰が?私が。いつ?今、いや、忘れた時刻ならば今朝か。どこで?置き忘れたのは家の中、あの買い物袋だろう。昨夜アイスを冷凍庫に入れるのに気を取られたのが良くなかった。

ともかく、今現在、私は家に入ることができずに困っているのである。

 

スペアの鍵なんて持っているわけがない。ピッキング技術があればお縄についてしまう。頼みの綱の親は、あと2時間は仕事で帰ってこないだろう。一応携帯に連絡は入れたが、しばらく既読はつきそうにない。

万策尽きてしまったのだ。この暑い夏の午後に、我が家の扉の前で。

 

と、大層に言ってみたところで、大層な理由がつくわけでも解決に向かうわけでもないことは百も承知だ。が、なんせ家に入れないのだからやることがない。コンビニに行くほどのお金もなし、図書館は今日は休館日。何故こんな日に限って鍵を忘れてしまうのか、自分を恨みたい。

 

他に暇を潰せそうな場所はあるだろうか。近くの場所をあれこれ思い描く。なるべく座れるところ。2時間居座っていても特に問題のないところ。

…、あっ。

そうだ、公園に行こう。

 

家の前を離れて歩き出す。時計を見れば、鍵のないことに気づいてから早5分が過ぎていた。やはりこの調子で親の帰りを待つのは精神衛生上よろしくない。高校生たるもの、もっと有意義に時間を使うべきだろう。

 

坂道を登る。今向かっている公園は、小学校の頃よく遊びに通っていた。遊具といったら小さな滑り台とブランコ、鉄棒、砂場くらいしかないのだが、それでも放課後集まるのはいつもこの公園だった。砂場の周りを落ちないように歩いたり、砂場に深いトンネルを掘ったり、随分色んなことをしていた思い出がある。この坂道も、自転車で誰が一番速く駆け下りられるか競走したものだった。

 

そういえば、あの公園で鍵を失くしたことがある。自分たちのものではない、ベンチの隅に落ちていた知らない鍵だ。うろ覚えだが、おそらく自転車のプレスキーで、黒い紐がつけられていた。置き忘れたのか、取れてしまったのかは分からなかった。

 

あの頃、私達の間では宝探しがかなりの勢いで流行っていた。砂場のスコップ、拾った大きめの石、シャボン玉液の蓋まで、あらゆる物を隠しては探し、探しては隠しを繰り返した。しかし、時に隠したものがそのまま行方不明になってしまうことが何度かあった。鬼ですら何処に隠したのかあやふやになり、全員で必死に探し始める、ということが一度や二度ではなかったと思う。

 

あの鍵も、そんな中の一つだった。鬼は鉄棒の下に埋めたと言い張るのだが、辺り一帯を掘り返しても全く見つからない。公園に鉄棒は一ヶ所しかなく、大きな物ではないのにも関わらずだ。30分程かけたものの、結局最後まで見つからなかった。

 

当時は、皆で土に還ったのだろうということに落ち着いたのだが、今考えてみると訳の分からない結論だ。小学生のことだからきっと探し漏らしがあったのだろうと思う。もしくは鬼が思い違いをしていたのだろう。しかし私の中では、鍵の持ち主への罪悪感も相まって、今も不思議な出来事として印象に残る思い出である。

 

公園に着いた。家を出てから約30分。昔は自転車で来ていたからか、友達と話しながらだったからか、あまり距離を感じなかった。記憶と違わぬ景色がそこにある。ただ、遊具は所々カラフルな塗料が剥げてくすんでいる。それに、昔に比べて少し小さくなったように感じた。

 

帰る時間があるにしても、1時間ほど公園にいる必要がある。暑い中歩き通して疲れたので、他の場所には行きたくない。見渡すと、風でかすかに揺れるブランコが目に入った。久しぶりに乗ってみようか。

 

赤い台座に腰を下ろすと、キィキィと甲高い音がする。鎖をしっかり握り、地面を蹴る。何度か蹴って勢いをつけたら、足を上げる。そのまま揺れに合わせて、曲げる、伸ばす、曲げる、伸ばす。座り漕ぎでもそれなりの高さまでは上がる。もし靴をぽんと脱ぎ捨てれば、あの木に引っ掛けられそうだ。

 

小学生の頃は立ち漕ぎの方が好きだったが、今は座り漕ぎの方が良い。立ち漕ぎ程のスピード感は無いものの、ゆっくりとしたリズムも悪くはない。それに、座っていれば足もあまり疲れない。曲げて、伸ばす。その繰り返しで、だんだん高く、速くなっていく。

 

次第に漕ぐことに集中し、他のことをあまり考えられなくなる。あれ、意外と楽しいかもしれない。こんな風に遊ぶのは何年ぶりだろう。中学に上がってからというもの、公園に来ることはめっきり減ってしまっていた。友達と遊ぶにしてもカラオケ、ボーリング、思い切り体を動かすこと自体少なかった。

 

足を曲げて、伸ばす。もっと高く、もっと速く。座っているのに、結構な速度になってきた。風を切って、風になって。数年前と同じ風が、今ここにある。

高く、速く。もっと、もっと。

 

ふと、チャイムが鳴った。夕焼け小焼けのメロディは、18時になったことを教えてくれる。30分前のチャイムは聞き逃していた。いつのまにか、1時間経っていたのか。

 

ブランコから降りると、手足が痺れた。明日は筋肉痛かもしれない。早く帰って眠ろう。夕ご飯も待ち遠しい。今から家に向かえば、着く頃には親も帰っているだろう。

 

鞄を背負って公園を出て、2、3歩歩いたところで振り返った。数分前の、解放感を思い出す。今も軽く風に揺れているブランコは、あの頃を思い出す鍵だったのかもしれない、なんて思った。

 

この鍵なら、きっと忘れることも失くすこともないだろう。小さく笑って、もう振り返らずに歩き出した。

 

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あの花の匂いをもう一度

 ある夢を見た。

 眼前は一面に花畑が広がっていた。

 すごくきれいだった。

 そして同時に、もう死ぬのかもしれない、とも思った。

 はっと目を覚ますと、そこには自分の部屋が映り込んでいた。

 夢だと分かったとたん、がっかりしたが、少しほっとした。

 そして、あの手触り、におい、感動、が懐かしく思えた。

 もう一度、あの感動を手に入れたい。そう思っていた。

 朝ご飯を食べて、外に出てみた。

 

 とても晴れていた。

 まだ梅雨にも入っていないのに、もうすっかり真夏日のような暑さと湿気がたちこめる。

 しかし、あの花の匂いをもう一度、もう一度だけ、存分に感じたいのだ。

 そう思っていると、自転車を思いっきり漕ぎ出していた。

 しばらくは近所をさまよっていた。

 近所はただの住宅街で、花はあるにはあるが、それはほんの一部にすぎない。

 いったいどうすればいいのか。

 

 次は河原に行った。

 河原は混んでいた。

 しかしそんなことは気にせず河原を走った。

 桜の時期で、人々はお花見やら何やらで盛り上がっていた。

 桜をかいでみた。

 しかし、あの匂いには程遠かった。

 その後もあの匂いを探していた。

 パンジー、コスモスなど、いろんな花があった。

 一瞬すごい良い花の匂いがしたと思うと、すぐその匂いは消えて、その花に近づいたとしても、良い花の匂いはすぐになくなり、匂いがしなかった。

 花を探し続けた。

 見つからない。

 今度は何㎞も走って畑のほうまで行った。

 畑に入ると独特の臭さがある。

 でも、なぜか今はそんなのは全然気にならなかった。

 花畑のありそうな場所、もしくは良い花を求めてどこまででも行った。

 でも、その日は見つからなかった。

 

 次の日も、その次の日も、その花をまた探し続けた。

 どこに行っても、どこを探しても、なかった。

 何の花かも、見当もつかなかった。

 

 ある日、気が付くと、電車に乗って、観光地の芝桜の名所に来ていた。

 眼前には一面の芝桜が広がっていた。

 だけど、自分の見た花畑とは似ていても、あの花の匂いにはたどり着けていない。

 この芝桜を見れただけでも、満足だった。

 でも、やっぱり、あの匂いを欲していた。

 ずっと考え込んでいた。

 考え込んで、体験したことあるような匂いだという結論に至った。

 それでも、どこの、どこで体験した匂いかもまったくわからなかった。

 あの匂いを、あの花の匂いをもう一度かぎたいだけなのに。

 

 そしてまた、夢を見た。

 花畑

 コスモスの花畑

 右を向くと百合

 左を向くと向日葵

 またあの匂いがした。

 そして花畑の先にだれか見えた。

 そこで目が覚めた。

 

 知覚というのは何が一番敏感なのか。

 視覚は重要、視覚であらゆる情報を受け取り、記憶させる。

 聴覚はもっと重要、聴覚で危険を察知し、世界を自分の中で作り出す。

 でも、嗅覚でも思い出を収める役割があるのだろう。

 これは懐かしい思い出、どこかの思い出。

 だれかとの思い出、なのかもしれない。

 この匂いには、温もりもあった。

 この匂いに、感覚的に好きという感情がいつのまにか加わっていた。

 再び今日の午後も漕ぎ出した。

 あの花の匂いを求めて。

 もうあてもなかった。

 ずっと近くでさまよっていた。

 夕方になっていた。

 最近は日の沈みが遅くなっている。

 明るい時間が増えることは自分にとってはいいことかもしれない。

 そろそろ夕日は沈みかけていて、もうろうとする時間帯になってきた。

 今日もあの匂いを見つけられなかった。

 もうそろそろあきらめていた。

 今日で終わりにしようかと思っている。

 考えてみれば馬鹿なことだ。

 自分でもわからない形のない「感覚」を頼りに形があるかわからない「もの」を探し出そうとしているのだから。

 植物ではないのかもしれない。

 思い込みなのかもしれない。

 そう、橙色に染まった空の下の河原で一人耽る。

 するとだれかが近づいてきた。

 「久しぶり」

 女の人の声だ。

 顔をあげてみると、どこかで見たことがあるような感じだった。

 そしてそこで気づいたのだ。

 今まで探し回っていた「感覚」が「もの」として浮かび上がった。

 

 幻覚なのかもしれない。

 しかし、ちゃんと今は現実。

 つまり、あの匂いが今まさに目の前にあるのだ。

 泣きそうだった。

 涙をすごくこらえていた。

 「覚えて…る?」

 「…」

 「梶田君だよね?」

 「…うん」

 「やっぱそうだ!私のこと覚えててくれた?それと約束」

 「約束?」

 「ほら」

 そう言って彼女はたんぽぽの押し花のしおりを僕に見せた.

 

 

 僕たちは六歳のころ、英語教室に通っていた。

 そのとき彼女も六歳で、幼稚園が一緒で、小学校こそ別になったが、英語教室で仲が良かった。

 そして何よりも、彼女の、触れる手、声、そして匂いが大好きだった。

 そして、彼女は突然英語教室をやめることになった。

 僕は相当驚いた。

 だって、あんなに英語に熱心で楽しそうで常に明るかった彼女が、まさか意欲をなくして辞めるなんてありえないことだったから。

 彼女が教室をやめても、また一緒に遊べると思っていた。

 しかしそれは違った。

 彼女は僕にはいたずらっ子だった。

 僕のことをからかったり、たまには悪だくみをして、たまには素直になって、そんな彼女が本当に好きだった。

 なのに。

 

 「わたし、てんこうするんだ」

 てんこう。

 僕にとってその文字はまだよく理解できていなかった。

 またからかいだと思った。

 でもやっぱり彼女の目は、わかりやすい、いたずらな目ではなく、本気であった。

 「どこに行くの?」

 「ほっかいどうっていうとこ」

 僕も北海道くらいは知っていた。そしてそれがすごく遠いということも知っていた。

 僕は涙を隠せずにはいられなかった。

 

 引っ越しの日になってその苦しみは現実と感じた。

 本当に行ってしまうのが悲しかった。

 あんなに、いつも一緒にいたのに、急に僕は一人になるような気がした。

 僕はずっとしょぼんとしていて、下を向いてばかりだった。

 そんな僕に彼女は声をかけてくれた。

 「十年」

 「え?」

 「十年したら、戻ってくる」

 「…」

 「お父さんが言ってた。十年したらこの街にまた住むって」

 「十年後ってことは…高校生?」

 「うん、そうだね」

 「そんなに遠い未来、待てないよ」

 すると彼女はフッと笑い、こう答えた。

 「十年なんて、あっという間だよ」

 「…そうだね」

 「十年して、帰ってきたら、今度は玲央、いや、梶田君を探しに行くよ」

 そして彼女はにっこり笑った。

 僕は、彼女が行くのが惜しくて、何かを渡したかった。

 彼女の家は川沿いだった。

 僕は彼女を少し待たせて、川に走った。

 その日は、春のぽかぽかした陽気な天気だった。

 僕は一つのたんぽぽを摘んだ。

 その一つだけ、輝いているように見えた。

 彼女の元の家に戻り、彼女にそれを渡した。

 彼女はまたすっと笑い、ひとつ、

 「ありがとう」

 と呟いた。

 彼女が後ろへ向く瞬間、彼女自身から発した匂いと、たんぽぽのかすかな匂いがほんのわずかに絡み合って、うっとりする不思議な落ち着く幸せな匂いを感じた。

 その匂いが、やはり大好きだった。

 そして彼女は行ってしまった。

 僕は全力で手を振った。

 

 

 あの日のことは思い出したらもう忘れない。

 僕と彼女は自然と河原に座り込んで話を始めた。

 

 「いつ帰ってきたの?」

 「先週。本当は四月に間に合うようにしたかったんだけど、いろいろあってね」

 「そうかあ」

 「梶田君こそ、毎日どこに行ってたんさ」

 「え、なんで知ってるの」

 「毎日梶田君の家にピンポンしてお母さんがいつもでて、玲央は家にいないって言われたから」

 「いや、僕、えっと…」

 「もしかして、私を探してたとか~?」

 「えっと…」

 「あ、でもそれはないか、さっき忘れかけてたもんね」

 「あの…」

 「ん?」

 「花を探してた」

 「花?」

 「うん、花」

 「花かあ、見つかったの?」

 「うん、見つかったよ。たった今」

 「へえ、何の花?」

 「…ところで、北海道はどうだった?」

 「話変えないでよ~北海道は、まあ、楽しかった」

 「そうなんだ…」

 「てか私ね―」

 

 再会というものはうれしいものだ。

 そして、それは花がつなげてくれた。

 これからも、僕たちは、そして世界は、花を通して幸せになれるような気がした。

 

 

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気遣いのお茶会

私はお茶が好きだ。

 特に好きなのは、緑茶、抹茶、麦茶とかだ。

 抹茶なんかはすごく良い。

 自分で抹茶の粉を茶碗に入れて、そこにお湯を入れて茶筅で立てる。

 ある程度になったら立てるのをやめ、数回茶碗を回してからズズっと飲む。

 これが、自分で立てたこともあって、おいしいんだな。

 そして、茶室なんかだと雰囲気もあって、よりおいしく飲める。

 あの緑の感じ、日本でしか味わえない独特の味。

 本当に大好き。

 でも、抹茶なんて、日常的に飲んでないので、習慣的に飲んでいるのは、緑茶と麦茶である。

 緑茶は、たまにあったかい煎茶とかも飲むと、それはもう、体の芯から温まって、また良い。

 麦茶は、時々麦の香りがすると、それをかぎたくなって、色々楽しんじゃう。

 こんなことをいっていては、おばあちゃんみたいだけど、やっぱり日本人に生まれた以上は、日本のお茶を愉しめるようになりたい。

 でも、紅茶が好きな人もいる。

 そういう人はまあ、それはそれでいいと思う。

 私も紅茶は好きなんだけど、日本茶には勝らないなあ。

 こう長々と日本茶の良さを語っていてもしょうがないから、簡単に自己紹介しよう。

 お茶が好きな現役高校生。茶道部部長。好きなお茶は掛川茶と西尾茶。

 …まあ、それだけ。

 でも、抹茶系のスイーツは大好物!!

 良いお店を知ったら、新宿でも渋谷でも吉祥寺でも、近場なら食べに行っちゃう!

 この前も友達に誘われて行ったカフェで見つけた抹茶のケーキがすごーくおいしくて!

 甘いものは、格別だね!

 私は今日も部活をした後、友達と帰るはず…だったのだが…

 

――――――――――――――――――――

 

「どういうことですか?!」

 茶道部の顧問の先生を相手に、私は怒りをぶちまけていた。帰り際に呼び止められたせいで、友達と一緒に抹茶スイーツを食べる予定が潰れたから、というのも二割くらいある。でも一番問題なのはそこじゃなくて。

「ほら、うちの学校部活数に比べて教室数少ないでしょ?だから似たような部はまとめちゃえってことになってさ。今後は華道部、柔道部と一緒に活動してもらうからよろしく」

 我らが顧問は、唐突にそんな宣告を私に叩きつけたのである。

 「一部屋に三部活は流石に狭すぎます。どこもそこそこ部員数多いし、曜日も丸かぶりしてるし…」

「ごめんねー、でももう決まっちゃったから。それに、最初は競技かるた部と書道部もの予定だったから、まだマシになった方だよ」

 …一体全体、上は何を考えてこの決断を下したのか。私たちの活動場所である和室は、六畳一間が二つに加えて少しのスペースがあるばかり。うーん、どう考えても場所が足りない。

「というわけで、明日華道部と柔道部の部長も呼んでおいたから、三人で適当に話し合っといて!」

 先生、それは無茶振りが過ぎませんか?

 なんだかんだで翌日、放課後。本当なら今頃心穏やかにお茶を点てているはずなのに、何が悲しくて話し合いなんてしなければいけないのか。そもそも何を話すの?待ち合わせ場所の教室で一人うだうだ悩む…ちょっと早く来すぎたかな。 あー、緊張で喉が渇いた。濃茶飲みたい。

 待ちぼうけしながらぼんやりと考えるのは、華道部と柔道部のことだ。二つとも存在こそ知ってるものの、これまで特に関わってはこなかったので事前知識は特に無い。一体どんな人が来るんだろう、不安だな。

 いやいや、でもきっと大丈夫。同じ日本文化部同士上手くやれる、はずだ。あれ、柔道部は運動部?まあいいや、ジャパニーズカルチャーの一つであるのは違いない。何事も恐るるに足らず、大和撫子を甘く見ることなかれ!

 …相手も大和撫子ないしは日本男児であることは置いといて。

 コンコン、といきなりノックの音が教室に転がる。びっくりした、二人が来たのかな?はーい、と返事をしてドアを開ける。と、そこに居たのは…

 

「ち-っす」

 入ってきたのは背の低い男子だった。無意識に名前を知ろうと、上履きに目が行く。だがあまりにも汚れているため名前は読み取れず、代わりに目に付いたのは踏みつぶされた踵だった。

「あなたは華道部? それとも柔道部の部長?」

 同級生にあなた、なんて畏まった尋ね方をするのは違和感しかない。けれど、喋ったことは一度も相手――かつ男子だ。

「おれは柔道部」

 そうして彼は立てかけられていたパイプ椅子を引っ張りだし、座った。柔道部にしては細いやつだ。柔道を長くやっている人は耳に特有のたこが出来るって話を聞いたことがあるけど、彼にそれは見られない。投げ捨てられたリュックは薄く、柔道着が入ってるようには思えなかった。

 長く沈黙が続く――さすがに黙りこくっているのは変だし、こちらから話を切り出すことにした。

「唐突だよね。部活まとめちゃうなんてさ・・・・・・それに何を話し合えばいいのかわかんないし」

 だけど無視。返答はない。彼はスマホの画面を割るような勢いでタップしていた。先ほどの緊張はどこかへ消え、代わりに腹の底から怒りが湧く。いくら何でも無視はないよ。

 聞こえなかったのかなぁ、なんて勝手に解釈し、もう一度言おうとしたが口を閉じた。彼はリュックからイヤホンを引っ張り出し、自分の世界に閉じこもってしまった。ゲームらしき音が漏れて聞こえてくる。

 いくら放課後とはいえ、顧問の先生が居ないとはい

え・・・・・・非常識な対応に呆れかえってしまう。そもそもあの挨拶は何だ? ちーっすって・・・・・・

 

――――――――――――――――――――

 

 しばらく無言が続いた。部屋は静まりかえっていて、廊下の向こうで行われている吹奏楽部の練習の音が聞こえるほどだった。私はというと、ペットボトルのお茶に書かれた俳句を凝視していた。だってそれしかやることがないんだから。

「あー暇」

 そんな一言とともに彼は椅子にもたれかかった。

「華道部の子はいつ来るんだろうね」

「さあ」

 ぶっきらぼうながらも返事があった。会話の、いや暇をつぶすチャンスと思い口を開く。

「柔道部って普段何やってるの? 取っ組み合って投げ合ったりとか?」

 彼はこちらを見向きもせず、ぼそぼそと呟いた。

「いや別に、おれは活動してないし」

 え、と言葉が漏れる。

「柔道部なんて名だけだ、活動なんて何もしてない」

「えっ、え、どういうこと?」

「だから・・・・・・部員がいないから何も出来ないんだって。ちゃんと大会に出てたりしてたのは先輩たちだけだよ。おれは幽霊部員だったんだけど勝手に部長にさせられただけ」 

 どう返答すればいいのか分からず、彼をただ見つめる。そういうことなの? 運動部と文化部が同じ部屋にさせられるって。なんか謎が解けたような気がして一人で納得している。

「どうせこの代で終わりだし。部屋の割り振りとかそっちで勝手に決めていいよ。あぁでもおれゲームとか魔剤置くスペースほしいな」

 リュックから携帯ゲーム機を出してかちかちとボタンを押しながら、彼はそう言った。開け放たれたリュックからくしゃくしゃになったプリントが数枚と、蛍光色の缶がこちらを見ている。

「魔剤?」

エナドリだよ」

 その言葉も聞き覚えがない。首をかしげると彼は蛍光色の缶を取り出して机に置いた。

「ゲームするときとか期末前に飲んでんだけど、家に置き場所がなくて」

 その缶は見覚えがあった。ただ、それだけだが。

 エナドリ――エナジードリンク。もちろん買ったこともないし飲んだこともない。普段お茶しか口にしない私にとって、コンビニで手に取ったことすらないものだった。

 ただ、風の噂で身体に悪いとか、常飲しちゃいけないとか、そういうのは聞いたことがある。

「これ、カフェインがたくさん入ってるんだよね」

「ああ。飲み過ぎると依存症になる。おれは週一で我慢してる」

「へぇぇえ」

 依存になるほど飲む彼に対し、感心したような馬鹿にするような声が出た。思ったより間抜けな声だったせいで、顔をしかめられた。

「でもさ、カフェインの摂り過ぎって身体に悪いんでしょ? やめた方がいいんじゃないの?」

「いやいや、お前んとこのお茶と同じだろ。別に――」

 身体に悪いこの飲み物と、私の人生一部でもあるお茶を同列に扱われたせいで、今度はこちらが顔をしかめた。思わずがたんと椅子を倒して立ち上がる。

「お茶と身体に悪いものを一緒にしないでっ!」

 お茶を飲めば血糖値が下がるから糖尿病にいいって話はよく聞く。それに花粉症に効くお茶もある。夏も水より麦茶を飲んだ方が熱中症になりにくい。たくさんの効能がお茶にはある。

 それに対してこのエナジードリンクは百害あって一利なしじゃないか? 眠気が少し無くなる程度なのに、ずっと依存し続けることになる。お茶を飲み過ぎて死者が出ることはないけど、これを飲んで死んだって話は存在する。 

「お茶は身体にいいんだよ、それに美味しいし!」

 彼は私に睨み付けられても、冷めた目でこちらを見据えていた。

「じゃあもし、お茶が身体に悪かったらお前は飲まなくなるのか?」

「え――」

 言葉が詰まった。私が固まったのを見て、彼はふーっとため息をついた。

「おれもお前も、好きだから飲んでんだろ。別にそれが身体に良かろうと悪かろうと関係なくないか」

「えっ、でも・・・・・・そんなのたくさん飲んだら、早死にしちゃうじゃん」

「まぁある程度のリスクはあるけどさ。健康のためだからーとか言ってクソみたいな味のもんもんばっか飲んで長生きするより、身体に悪いって分かっても好きなもん飲んで早死にした方がよくね? そっちの方が満足して死ねるだろ」

 ・・・・・・確かに彼の言うことは納得できた。もしお茶に身体に悪い成分が含まれていると分かったとしたら、私は飲むのをやめれるだろうか。部活、放課後、そして家の中。お風呂上がりにほっと飲むあの至高の一時がなくなってしまうのはかなりきつい。今日だけ特別、とか言い訳をしながらこっそりとお茶を煎れる自分の姿が想像できる。

 論破されたせいで静かに椅子に座り込む。少し、自分が惨めに思えた。

「・・・・・・確かにそうだね。もしお茶が身体に悪いって分かっても、飲み続けるだろな

ぁ」

「はは、チャ中だチャ中」

 アルコール中毒、アル中をもじってお茶中毒と揶揄され頬を膨らませる。だが、先ほどと違って不快感はなかった。

「あぁ、そうだ。そんなにお前がお茶好きなら、これやるよ」

 そうして彼はリュックから何かを取り出した。

 

――――――――――――――――――――

 

 彼が取り出したのは、ぼろぼろになった袋に入った、宇治茶玉露の茶葉だった。

 「親が、お茶が好きだからって前に京都行ったときに大量に買ってきて、買いすぎたからって友達にでもあげろって言われたんだが、別に俺自身はこんなもの要らねえし、第一こんなものあげる当てなんていないし。」

 「ちょっと!こんなものってなにさ!」

 「さっきお前俺のエナジードリンクけなしたろ?」

 「う、うん…ごめん」

 「そんで、リュックの底にずっと入れてたの今になって思い出したから、やるよ」

 「え…でも、悪いよ、こんな良い茶葉」

 「これ良い茶葉なのか?まあ、なんでもいいけどほら、やるから」

 すると、ドアのノックの音がした。

 「はーい」

 そこに立っていたのは、眠そうな男だった。

 「あなた…もしかして、華道部の人?」

 「あ?えっと…うん…」

 その男子はけだるけに畳に座り、部屋を見回した。

 「ん?ここ生け花ないのか…つまんないな…」

 独り言のようにぼそぼそ言って、ボーッとしていた。

 私は、何か話を繋ぐべく、色々思いめぐらせていた。

 「ほら、とにかくこれやるから、ちょっとここで休ませてもらうぞ」

 「あ…うん、ありがとう。本当に」

 結局玉露をもらった。

 あとで振る舞ってやる!

 「と、ところで…華道部って何人いるの?」

 「僕と…もう数人女子がいるだけ」

 ぼそぼそっと教えてくれた。

 「他の人は外の華道教室で忙しいとかで、無理矢理部長にさせられて…その人たちはクオリティー高いすごい花持ってくるんだけど、僕だけ…一人で使われてない生物準備室で適当なもん作ってんだよ…」

 「確かに…文化祭とかで見たことあったかも。華道部の作品みたいなやつ」

 「上級生がいなくなったから、更に寂しくなって、廃部の危機なんて言われてたんだけど…結局こんな形になるとはね…」

 私たちもちょっと気まずかった。

 「んで、これからどうすんだよ」

 「えっと…私は本当は統合したくないんだけど…二人はどうなの?」

 「俺は別になんでもいいや」

 「僕は…他の人にもきいたけど、どっちでもいいらしいから、どっちでもいい」

 「う~ん、そしたら…でも、どこも部員数はぎりぎり廃部人数なわけだし…」

 「統合しちゃえば?どうせみんな来ないんだし。華道部のお前は隅の方で適当にやってればいいだろ、俺は魔剤置ければいいし」

 「僕は…華道部のものを置く棚があればいい」

 「一応、棚はたくさん余ってるけど…」

 「じゃあ決まりだな。先生にそうやって言うぞ」

 「ちょっと!勝手に決めないでよ!」

 「でも、こうするほかないだろ。いつまでもグジグジしてられないし」

 そう言って、柔道部の人は、魔剤をぐいぐい飲んで畳に寝っ転がる。

 「わかった…じゃあいいよ。統合して」

 「お、わかった。じゃあ早速先生に…」

 「その代わり!」

 「は?なんだよ」

 「せっかく和室にいるんだから、一杯飲んでいってくれない?」

 「うん、まあ、そんくらいならいいけど…」

 「まあ、茶道部のやつが立てるんだから、美味いんだろうな」

 柔道部の彼は少しあおっている感じだった。

 でも嫌な感じはしなかったので、無視して、器材を持ってきて、二人分の茶碗を並べる。

 「きれいな花の柄…こういうの作ってみたい」

 華道部の彼は茶碗に反応した。

 やっぱりそういうほうに惹かれるのかな。

 茶道ってものは少し色々形式があるけど、この二人に言っても全然通じないと思ったので、自由にさせようと思った。

 茶杓でナツメに入った抹茶の茶葉を数杯茶碗に入れて、ポットのお湯をそれに入れる。

 まず一つの茶碗お湯を入れたら、茶筅で抹茶を点てる

 抹茶をある程度まで点てたら、茶筅を二回茶碗にトントン、として、隣に置く。

 ああ、そうだそうだ。

 ゆっくりと立ち上がって、棚から、茶道部常備の和菓子を出す。

 まあでも、保存のきくものだけどね

 そして、それを自分の懐紙に置いて、二人に差し出す。

 柔道部の彼は相変わらず胡座で変わらなかったが、華道部の彼はちょっと緊張してるのか、正座していた。

 「どうぞ」

 「お、菓子だ。サンキュ」

 「ありがとう…」

 そして次の茶碗にお湯を入れて、また点て始める。

 ああ、この点ててるときが私は一番落ち着く。

 とにかくこの

 音がいい

 泡がいい

 感覚がいい

 だから、私は点てるのも好きなのだ。

 またある程度点ったら、和菓子を食べ終わった二人の前へ出す。

 二人はちょっと躊躇っているっぽかったが、華道部の彼が先に飲み始めた。

 「うん、おいしい…!すごいね」

 私は褒められることなんてそうそうないので、ちょっと顔を赤らめた。

 続いて柔道部の彼も飲む。

 「…お、おう…悪く…ねえな」

 彼の顔は少し赤かった。

 「ちょっとお前を見くびってた。やっぱりすげえんだな」

 さすがの私も恥ずかしさをちょっと隠せなかったが、喜んでもらえたならよかった。

 私は最後に一つだけ彼らに言った

 「ありがとう」

 それは、おいしいと言ってくれたこと、飲んでくれたこと、そしてこの問題が割と円満解決したことに対する、感謝の気持ちであった。

 

 ただ、やっぱり部活の統合は免れなかったけど。

 

 

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部長挨拶

 

こんにちは

都立武蔵高等学校文芸部高校二年の栄啓あいです。

今年は、新型コロナウィルスの影響で、一学期中の部誌の印刷は見送ることとなりましたが、二学期の部誌は無事発行出来ました

今年は高一が一人入部致しまして、存続の危機は免れました。

今年は部活内では、執筆時間のほか、読書会や盤面遊戯など、様々なことに手を伸ばしています。

それなので、在校生の皆さんは、毎週火曜日、木曜日の放課後に少し覗いてみるのもいかかでしょうか。

部誌の減りがやや芳しくないように思いましたが、それでも部誌を楽しみにしている方もいて、こちらとしては嬉しい限りです。

同時に、感想やご意見など、たくさんお待ちしております。

次の部誌は、三学期になると思いますので、何卒、よろしくお願いします。

さて、今回の部誌では、リレー小説というものも試みました。

リレー小説含め合計三作ございますので、最後までお読みいただけると幸いです。